読売ビジネス・フォーラム(北海道)講演概要

天下人に学ぶタイプ別経営戦略 -信長・秀吉・家康-

小和田 哲男  氏 歴史学者

開催日2025年11月18日 (火)
会場 札幌プリンスホテル(札幌市中央区南3西12)/正午〜

 戦国時代史研究の第一人者で、NHK大河ドラマでは「どうする家康」など8作品で時代考証を務めた歴史学者の小和田哲男さん(81)が、「天下人に学ぶタイプ別経営戦略―信長・秀吉・家康―」と題して講演した。

 現代のビジネスにも通じる「天下人」3人の姿勢、視点について語り、参加者約150人が聞き入った。

 小和田さんはこれまでの研究を踏まえ、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の人物像や戦略を紹介。秀吉に関しては「『いかにすれば戦わずして勝てるか』に視点を置いた戦略だった」と指摘し、その例として、柴田勝家を破った戦勝報告を大名に一方的に送り付け、屈服させていたことを挙げた。また、人材の登用や育成について、信長は「能力本位」とし、家康は「味方でなかった者も抱え込む度量の広さがあった」と評した。

 

◆歴史学者・小和田哲男さんが指摘する3人の天下人の長所・戦略

◇信長の「柔軟」

若いころに「うつけ」と言われていたが、決してばかではなく、発想が常識外れで当時の大人が理解できなかった。時代を変えていく柔軟な思考性があった。例えば武功より情報を重視し、桶狭間の戦いでの論功行賞で一番評価したのは今川義元の首を取った家臣でなく、義元の動向の情報をもたらした者だった。

◇秀吉の「宣伝」

「いかに戦わずして勝つか」に視点を置いた戦略だった。その一つが広報宣伝活動で、山崎の戦いで明智光秀を討った後には、書記に命じて「惟任(光秀)退治記」を書かせた。賤ケ岳の戦いで柴田勝家を破った後は「柴田合戦記」を書かせて、手紙のやりとりをしたことのない大名にまで一方的に戦勝報告を送りつけた。これに怖じ気づき、屈服した大名もいた。

また秀吉の天下統一においては、弟の秀長が「ブレーキ役兼ナビゲーター」として補佐したことが大きかった。秀長は秀吉の「分身」であり、組織におけるナンバー2の重要性を見せてくれている。

◇家康の「修正」

秀吉の死後、6歳だった豊臣秀頼の世襲は可能だとした石田三成に、家康が待ったをかけた。家康は信長亡き後、秀吉が実権を握っていく過程を見ていることから、「天下は力ある者の回り持ち」との論法で「今度は俺の番だ」と表に出てきた。信長、秀吉という先達たちのいいところは受け継ぎ、悪いところは軌道修正に成功した。

 

 

 

講師プロフィール

  • 小和田 哲男  氏 歴史学者

    1944年静岡県生まれ。

    1972年早稲田大学大学院文学研究科博士課程満期退学。1985年文学博士(早稲田大学)。

    現在、静岡大学名誉教授、(公財)日本城郭協会理事長、岐阜関ケ原古戦場記念館館長。

    NHK大河ドラマでは、1996年の「秀吉」から2023年の「どうする家康」まで8作品で時代考証を務める。

    YouTube「戦国・小和田チャンネル」も配信中。