読売・TDBフォーラム北陸講演概要

わが野球人生、多くの人の出会いから学んだ事

吉村 禎章  氏 巨人軍OB(編成本部長スカウト担当)

開催日2023年10月17日 (火)
会場 ホテルニューオータニ高岡/13時30分~

巨人軍OBで編成本部長スカウト担当を務める吉村禎章さん(60)が、現役時代の左ひざじん帯の断裂から復帰に至るまでのリハビリや、打撃コーチを務めた今年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でのエピソードを紹介しました。

巨人でキャプテンを務めた経験から、チームを統率できる力「キャプテンシー」の重要性を指摘。来期に向け、「そういった選手を育てていければ、自然といいチームに近づくのではないか」と述べました。

奈良県出身の吉村さんは1981年、巨人のドラフト3位に指名されて入団。88年、試合中に左ひざじん帯を断裂しましたが、懸命のリハビリで翌年に一軍復帰しました。90年にはリーグ優勝を決めるサヨナラ本塁打を放つなど活躍し、「不屈の男」と呼ばれました。巨人軍では編成副本部長などを務めていましたが、10月6日付で編成本部長スカウト担当に就任しました。

吉村さんは、巨人への入団が決定した時の秘話を紹介。大学進学を決めていたにもかかわらず、尊敬していた王貞治・助監督(当時)から「僕と一緒に野球をやろう」と連絡があり、思わず承諾してしまったといいます。

王さんはその後、練習開始前の時間帯から指導してくれ、「ずっと努力し続けないとダメだ。僕もいまだに努力している」と助言されたと明かしました。そして「本当に努力の人だと思う」と振り返りました。

大けがからの回復状況が芳しくなかった頃には、同じ場所でリハビリをしていた子どもに「表情が暗いね」と言われ、絶対に復帰してやると思ったと吐露。復帰戦での大声援に、「関わってくれた人たちへの感謝を持ち続けなければならないと痛感した」と話しました。

来季に向けては、「良いところを残しながら変えていかなければならないタイミング。魅力ある戦いをできるよう、新監督を支えていきたい」と抱負を語りました。

◆吉村さんが受けたアドバイス

▽中村順司監督(PL学園時代)

「野球だけうまくなるのではなく、社会に出たときに認められる人間になりなさい」

▽王貞治監督(巨人軍時代)

「ずっと努力し続けなさい。僕もいまだに努力をしている」

▽長嶋茂雄監督(巨人軍時代)

「(結果を出せなかった際)謝る必要はない。前を向いて次に向かってくれればいい」

講師プロフィール

  • 吉村 禎章  氏 巨人軍OB(編成本部長スカウト担当)

    1981年ドラフト3位で巨人に入団。86、87年と2年連続ベストナインに選ばれる。

    88年7月6日の中日戦(札幌)で中堅手と衝突し、左ひざじん帯を裂断。選手生命が危ぶまれたが、懸命のリハビリで翌年に1軍復帰。復帰後もひ骨神経麻痺に苦しんだが、90年にはリーグ優勝を決めるサヨナラ本塁打を放つなど、「左の代打の切り札」として活躍、「不屈の男」と呼ばれた。98年引退。

    個人タイトル=ベストナイン2回(86、87年)プロ通算149(うち100本が故障前)本塁打、535打点、打率2割9分6厘。